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正義仮面 Q PART(1986年作品)

正義仮面 Q part2 STAFF
プロデューサー HANT
原作・脚本 BARA
撮影 HANT
音楽 TARO・BARA
美術 TARO・C.RAIDER
編集 HANT
協力 あるらうね

監督 BARA


     

『奴の名は正義仮面Q。悪魔に魂を売った正義の味方!!』

HCFM最後にして、最も異端な作品がこの「Q2」である。一言でいうと「おうどU」とまったく逆のベクトルで作られた本作品は「ヒーロー物のパターン破り」を目標にしている。その結果、PART1での基本設定を引き継いではいるものの ホラー的要素を盛り込んだバイオレンス作となっている。

ストーリーは「愛と正義の名のもとに兄をQに虐殺された男が ‘Qハンター’を名乗り 復讐を誓う」というものだ。
本作ではヒーローが絶対悪として描かれており、その暴力シーンと Qハンターとのハードな死闘が見所になっている。

いままで様々な「悪のヒーロー」が存在した。特撮ではハカイダーやタイガージョー、アニメではブンドル局長、シャア少佐など。ゴルゴ13、バイオレンスジャックなんかもそうだろう。
それらのダークヒーローとQとは大きな違いがある。それこそ この作品が異端と言われる理由なのだが、1つはQの行為には全くポリシーがないこと。彼には背負うべき過去もなく 宿命のライバルがいるわけでもなく、ただ己の快楽のみを求めて闘っているとしか思えないのだ。そんなことが許されていいのか?という疑問も 「ヒーローだから」という一言で済まされている。

そしてもう一つの違いは あくまで「正義の味方」を名乗っている処である。Qの闘う相手は悪の組織でも侵略者でも怪人でもない。その辺を歩いている一般人だ。数々の痛快な必殺技で完膚なきまでに一般市民をなぎ倒す姿に嫌悪感を示す人もいると思うが、それでも彼は正義の為に孤独に闘っていると言っているのだ。そう、「正義とはなにか」というのも「Q」という作品の大きなテーマの1つなのだ。


折檻棒

Qの「7つの責め技」の1つ『折檻棒』(又の名を「金田式精神注入棒」)
この技を使う時、Qは快楽の余りトランス状態に陥っている為、
泣こうがわめこうが許してくれないのだ!


前作ではQは弱点のない完全無敵のヒーローであったが、それでも子供を人質に取られ苦境に立つシーンがあった。この作品ではQにそんな人間らしい弱みをなくした代わりに PART1では弱みでもなんでもなかったモノを新たな弱点として与えている。

そしてラストシーン、二転三転する展開の果てに QとQハンターとの闘いに終止符がうたれる。意外とも言える決着だが 「本当の正義は必ず勝利する」というメッセージがそこには脈々と流れているのだ。


Q少年隊
Qハンターに襲いかかる正義の同志 
『Q少年隊』
彼らは心も体も操られ 正義の為に死ぬまで戦うQの奴隷なのだ。


HCFMの各作品それぞれを改めて見てみると 当時の趣味 嗜好が込められていて懐かしくも恥ずかしい思いがこみあげてくる。
特に作品中に使われているBGMにその時代を垣間見ることができる。これまでも「ザブングル」や「シャリバン」、「ダンバイン」なんかが使われていたが 「Q2」では当時私の好きだった浜田麻里や本城未沙子(こりゃマイナー)のアルバムや TAROの趣味だったゾンビのサントラ、TARSHIの秘蔵の「チャージマン研」(当時 山口放送でやってたけど、知ってる人いるのか?)のOPなんかが使われている。

この「Q2」を持ってHCFMはその活動を休止することになる。HCFMの作品はテンションに頼って作られた部分が多いので 10代じゃないと出来ないことが結構たくさんあることがスタッフにも分かりかけてきたのかもしれない。体力的なこと、向こう見ずなところ、若さのみで突っ走ることの出来る行動力など 世間体を気にするような大人になるにつれて失ったものが多い。このころは歳の割に我々は幼子のように純粋な心を持っていた。(そうなのか?)  嗚呼 懐かしき青春時代よ・・・。

このあと時代は8ミリからホームビデオへと変わっていき、アナログ世代からデジタル世代へと移っていく。HCFMの作品はどれをとってもアナーキーで今、作品を作っても同じようなモノはもう出来ないと思う。しかしこれらの作品は 世紀末の今こそ時代にマッチしているのではないか?、と勝手に思っている。はたから見れば若気の至りとしか言いようがないけど・・・。


CAST
正木 九(変身前) ・・・BARA
・・・TARO
少年 A ・・・TARSHI
少年 B ・・・C.RAIDER
Qハンターの兄 ・・・KYOJU
Qハンター ・・・HANT
正義仮面 Q ・・・?

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