December 24, 2006

ジーザス・クライシス・福栄日記

ヽ(´ー`)ノ☆.。.:*・°


・・・・てなわけで わしにとっては特にコレと言った盛り上がりも無いクリスマスなんだが、今日はクリスマスにちなんだ話題をご紹介しようかのぅ。

何を隠そう、日本でのクリスマス発祥の地は山口県だった、という事実をご存知の方も多いかと思う。 

その昔 フランシスコ・ザビエルが何処からかやってきて山口で布教活動を行ったことに関連するわけだが、時の権力者・大内氏がキリスト教を保護したこともあって それなりに信者もいたらしい。

その後、毛利氏が長州藩主となり 一転 今度は禁教令を出したおかげで 多くの信者は山口の地を追われて萩の山間部、旧・福栄村とか旧・むつみ村、阿武町付近で身を潜めながらひっそりと暮らしていたんだそうな。いわゆる「隠れキリシタン」って奴だな。

で、今日はクリスマスと言うこともあるし それ以前にヒマだったんで、例によって例のメンツで旧・福栄村エリアまで出向いてクリスマスらしく「隠れキリシタン」に関するネタを集めてきたんで ココでご紹介しようと思うぞ。
夜の繁華街ではアベックがムードを盛り上げている頃だと思うが、そんな雰囲気とは真逆の「侘び寂びのクリスマス」をお送りしようっ!

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黒須の石室

のどかな田園風景が一面に広がる、ココが噂の萩市・福栄エリアだ。ここには数多くの「隠れキリシタン」にまつわる遺跡が点在しているんだが・・・・
最初のターゲットの「黒須の石室」と呼ばれるキリシタン墓地(伝)は 田んぼの用水路の横(写真の矢印のところ)にチョコンとある物体らしいのだが、あまりにショボイんで わしは写真に収める意欲が削がれてしまったな・・・

で、仕方が無いんで(?)とりあえず近くの「上野山八幡宮」にお参りに行くことに。

上野山八幡宮

これが地域の八幡宮として信仰を集めている「上野山八幡宮」だ。なかなか趣きのある神社なんだが、もう門松が飾られて正月の準備も着々と進められているようだな。
ちなみにこの八幡宮、隠れキリシタンと何か因縁でもあるのかと思われる人も居られようが 実は全くキリシタンとは関係ないぞ。単に我々が神社にお参りするのが好きなだけだ。
境内の裏口に荒神様が祭られていて ちゃっかり庚申様もいらっしゃったんで 当然わしのチェックが入るわけだが・・・・(←クリスマス関係なし・・・)

庚申様・・・ ∑(゚ロ゚〃) アッ!!

荒神様・・・ 左の何だかわかんない石仏は 恐らく荒神様だと思われるのだが、右の物体はどう見ても・・・
いやいや、こんなところにいらっしゃるとは全く知らなかったんで 発見したときは少し嬉しかったぞ。 まさに神様の贈り物とでも言おうか、Marra X'maraとでも言おうか・・・(なんのこっちゃ)

しかしキリシタンが姿を隠して コッソリと十字架なんかを拝んでいた地域でも このようなものが堂々と神社に祀られて人々の信仰を集めていたと思うと なんか嬉しくなるよなあ♪

何だか良く判らない神様 中にはこんなワケわかんないものも祀られていたが コレは一体何なのかしら?ま、どうでもいいけどな・・・

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いきなり趣旨が大きくズレてしまったんで そろそろ本題の「隠れキリシタン関連」史跡に話を戻そう。

仏光寺 猿・・・

次のターゲットは「仏光寺」なる寺。ここには隠れキリシタンの墓があるらしいのだ。

なかなか立派な山門に趣きがあるんだが こんなところにこんな立派な寺があるなんて 実は今回の散策で初めて知ったぞ。 わしは山門の屋根を支えている小猿の彫り物が大変気に入ってしまったな・・・

仏光寺のキリシタン墓地で、これが仏光寺のキリシタン墓地。パッと見ただけでは普通の石祠なんだが 中には仏様に似せて作られた石仏が納められているわけだ。もちろん言われなきゃ素人には判んないけどな。

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次にやってきたのは紫福地区の「至福の里祈念地」なる場所。

至福の里祈念地
この紫福地区には 山の中、ヤブの中なんかに隠れキリシタンのものと思われる墓地が点在していて、元々隠れて暮らしていた人たちの墓だから管理する人も無く ほとんど野ざらし状態で放置されていたらしい。
で、「それじゃあまりにも可哀想じゃのぅ」ということで 供養のためにこの地に集めて「祈念地」として整備したんだとか。わしはそんなものが事業として行われていたとは 今日まで全く知らなかったが、なかなか雰囲気があって感銘を受けてしまったぞ。

ちなみに この辺りの「紫福」という地名は キリスト教の「至福」から転じて来ている、という話もあるんだそうな。へえへえへえ・・・

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鉄心寺跡

お次は道路から山の中に100Mほど入ったところにある 「鉄心寺跡」。ここには石祠型と六面柱に仏像が彫られた判天連墓があるのだ。

鉄心寺判天連墓(石室) 鉄心寺判天連墓

こういう石祠や六面柱がキリシタンの墓としては典型的なものなんだとか。 細い線で彫られた石像は素朴な感じだが、微妙に手や腕の折れる形をそれっぽく変えていたり、目立たないように十字を彫っていたり、いろいろと信仰を誤魔化すための工夫が施されているらしい。
いやいや、こんなことをしなくてはならないなんて キリシタンにとっては悲しい歴史よのぅ。(゚ーÅ)ホロリ

ちなみにわしは六面柱に彫られた石像を見て「6人揃って秘密聖隊バテレンジャー!!」とかいう企画(?)を思いついたが それはこんなブログで書いちゃってはいけないことなんだろうな・・・・

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次は わしが今回 一番感動したキリシタン関連の史跡、市の「三位一体像」だ。

三位一体像

市の三位一体像 う~ん、これは道祖神に通ずるものがあると言うか、なかなか見事で思わず唸ってしまったな。やはり直線的に曲げられた腕の感じとかがキリシタンの彫り物の特徴らしいが 三位一体はキリスト教の奥義を表しているんだそうな。
知らなかったら「ちょっと変わった道祖神」として扱われても不思議じゃないが、逆に言うと このあたりで趣きのある石像を見かけたら 道祖神とかじゃなくて判天連関係のものかもしれないわけだ。

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長久寺

最後は長久寺。ココにはその名もズバリ、「マリア観音像」が祀られているらしい。

長久寺キリシタン墓 長久寺マリア観音像  長久寺キリシタン墓

これなんか完璧にキリストを抱いている構図なんだが やっぱり弾圧から逃れるために姿かたちはマリア様を描くわけにもいかず 観音様になっておるわけだな・・・・
恥ずかしながら地元民でありながら今回ご紹介したキリシタン関係の墓碑類を拝むのは初めてだったんだが、これは大したものだと思うぞ。

萩といえばどうしても城下町関連の文化財ばかりが強調される傾向に有るんだが、行政としても せっかく新市になってエリアが広がったんだから これらも地元が誇る文化財として もう少し宣伝や整備に金を掛けても良いと思うんだがなあ。

とりあえず 「日記のネタ探し」という不純な動機ではあったが 今日という日にこれらのキリシタン関連の史跡にお参りできたし 日記を通じて皆様にご紹介することが出来たし、我ながら「クリスマスらしい良いことをしたなあ」、と 自画自賛してしまったな。良かった良かった♪

長久寺・地蔵 これは長久寺の奥に居られたお地蔵様。持っている錫杖を良く見ると十字架が・・・・

 ╋(゚o゚;) アーメン !

投稿者 BARA : 11:57 PM | コメント (0) | トラックバック

December 17, 2005

おいでませ シュメール!

角島・・・今は下関となった旧・豊北町の日本海に浮かぶ風光明媚な島だ。

黒潮の影響を受けて本州とは思えないようなエメラルドグリーンの海に囲まれたこの島は 本土と島とを結ぶ角島大橋が完成して以来、山口県では秋吉台、錦帯橋なんかと並ぶような観光地として沢山の人が訪れているわけだが、この島に古代 シュメール人の残した石碑がある、という事実を知っている人は余りいないと思う。

わしも そんじょそこらの宗教よりも雑誌「ムー」の記事を心のよりどころにしている世代だから 当然 この事実はかねてから知っていたぞ。
このような重大な事実は このHPに来てくれるお客さんにも いつかは紹介せねばなるまい、と 常々頭の隅に思ってはいたんだが、いざ角島に出向いて その素晴らしい景色を目の当たりにすると そのような胡散・・・いや、ニッチな情報は毎回 脳から抹殺されてしまうんで今まで紹介できないでいたのだ。 

今日は下関から実家の萩に戻るついでに そのシュメール文字を見るだけのために わざわざ角島に立ち寄ってみたぞ。 今回は皆さんにその角島の誇る神秘の謎遺産、「角島ペトログラフ石碑」をご覧頂こうっ!!

西角旅館

これが噂の「ペトログラフ岩」がある「西角旅館」だ。 普通、角島にやってくる観光客は本土から角島大橋を渡って灯台のある角島灯台公園まで一直線に向かうのだが、この西角旅館は高台から少し降りた港の傍の漁村の中にある。角島は今は日帰り客がメインだが 橋が掛かる前までは船でやってきたお客さんがこういう民宿で泊りがけで釣りを楽しむ、というのが普通のスタイルだったのだ。

ちなみにこの旅館は わしの前職での顧客だった関係で仕事で何度かお邪魔したことがあるのだが、シーズンは平日でも結構なお客さんで賑わっていたぞ。昔からのお客さんがしっかり付いているんだろうな。

では お待ちかね、これが「ペトログラフ岩」だぁっ!!

角島ペトログラフ岩

・・・・正直言って 解説の看板が無ければ ただの庭石にしか見えないな・・・・(^-^; 解説はこれ。

ペトログラフ解説

長年の風雨にさらされて文字がハッキリ読めないのがアレなんだが、要するにこの岩に刻まれた意味不明の文様がシュメール文字なんだとか。
今から4千年前に古代メソポタミアで栄えていたシュメール人が 他の部族の侵入にあって国を滅ぼされ、その一部が海洋に逃げて海の民となり世界各地にこのような文明をもたらしたらしいのだが、遠い日本のこの角島にも彼らはやって来たらしい。

この岩にはシュメール語で「ALDE(牛)」、「GUD(大地の男神)」、「NYK(大地母神)」と書かれているらしいが、ちなみに この島の対岸には「特牛(こっとい)」という集落があって 特牛は「聖なる牡牛」と言う意味で 「コッテ」もシュメール語なんだと。

角島ペトログラフ岩

このようにデジカメで接写しても 長年の風雨のさらされていたせいか、全く文字らしいものなど見えないなあ・・・でもまあ、国際ペトログラフ学会の方がそう言われるんだから間違いあるまい・・・。

補足だが このようなペトログラフ関連の謎遺跡は山口県西部には いくつか転がっているらしい。萩市の大島や下関の彦島なんかにもあるらしいが とりあえず三角形に尖った形の山は「日本型ピラミッド」として信仰の対象になっていたのではないか?という説もあるらしいな。(そういうことを書くのは やはり「ムー」とか その手の研究者だけらしいけど・・・)

山口県北部~西部の日本海側には「小野小町の墓」だの「楊貴妃の墓」だの「土井が浜遺跡」だの いろいろと怪しげな遺跡が目白押しなんだが、最近になって「粟野岳ピラミッド」とか「彦島ピラミッド」とかの 「いかにも」な存在を知ってしまったぞ。

特に下関の「彦島ピラミッド」に関しては 「彦島が世界のピラミッドの中心的存在だった」とか 「彦島そのものが神殿だった」とか 聞いているだけで脳の奥がウズウズとしてくるような胡散臭・・・いや、興味深い情報が多いし なにせ近場なんで来年にでも一度 最近全く更新してない「たんけんコーナー」のネタとして扱ってみたいと思っているぞ。 乞うご期待じゃ!!ひぃっ!!

投稿者 BARA : 09:04 AM | コメント (0) | トラックバック

December 16, 2005

小町、困っちマイナ~・・・

先日、このブログで阿東町にあるという「静御前の墓」を紹介したんだが、そのような「観光地としては少しパンチが足りない」 良く言えば「いわくありげな」、悪く言えば「胡散臭い」文化遺産は県内にはまだまだあると思う。

このHPでは「たんけん」コーナー「このまち」コーナーで そんなスポットを紹介しているのだが、このブログでも そのような今にも忘れ去られてしまいそうな郷土の遺産を後世に残すために「山口・おせっかい遺産」というカテゴリーを設けて機会があるたびに紹介していきたいと思っているわけだ。

で、今回は第2回目として 下関市(旧 豊浦町)の「小野小町の墓」をご紹介することにしよう。(何年か前にも一度 日記か何かで紹介したんだがな・・・)

ここでちょっと読者の皆さんに簡単に解説しておくと、小野小町と言うのは誰でも知っているあの人のことだ。(簡単すぎ・・・)

前述の「静御前」同様、小町も全国のあちこちに墓があるんだが、昔の人なんで分骨したとか髪の毛を祀った、とか そういうちゃんとしたものではなく やっぱり「伝説」なわけだ。(くわしい解説はコレ
何故 縁もゆかりも無いような山口県に彼女の墓があるのか・・・それはココにそういう伝説があるから仕方が無い、としか言えないのが辛いな。 

それにしても「楊貴妃」と「小野小町」の墓が山口県にあるのなら 残る「世界三大美女」のクレオパトラも ついでに何とかならなかったのか?ということだけが口惜しいな・・・。

小町の墓への小道

その「小野小町の墓」なんだが、下関の奥座敷として有名な川棚温泉から程近い その名もズバリ「小野」という集落にひっそりとたたずんでいるぞ。 もしかしたら「私も行って見てみたい」という奇特な方もいらっしゃるかもしれないな。近くにはバス停もあるんだが やはり僻地なんでマイカーでの訪問がベストだろう。 入り口には「虚無僧の墓」なる これまた曰くありげな墓が祀られているから これも併せて拝んでおけば脱力度 ご利益は2倍になるかもしれないぞっ!!

では 皆さんにご覧頂くとしよう。 これが噂の「小野小町の墓」だっ!!冥土の土産に持っていけぃっ!!





小野小町の墓




(゚ーÅ) ショギョウムジョウ・・・

投稿者 BARA : 05:40 PM | コメント (4) | トラックバック

December 11, 2005

しずやしず・・・

MICHIKOさんとこで教えてもらったココ

1・適当に2桁の数字を思い浮かべてくだされ。(例:「69」)
2・2つの数字を足して (例:「6」+「9」=「15」)
3・その数字を最初の2桁の数字から引いて (例:「69」-「15」=「54」)
4・画面にあるその数字のマークを確認して 水晶玉をクリック!


(゚ロ゚;)!?・・・・ひぃっ!!なんでだ?

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ども、仲根かすみの結婚に少なからずショックを受けているBARAです
 ・゚・(ノД`)・゚・

さて、今日は大河ドラマの「義経」が最終回だったな。
義経といえば我が山口県には「壇ノ浦の戦い」という舞台があるのだが、「あの"静御前”の墓が 実は山口県・阿東町にある」という事実(?)を知っている人は果たしてどのくらいいるのだろうか?

実はこの情報は かつて「たんけん」のコーナーで阿東町を散策したときに既に掴んではいたのだが、あまりに胡散臭かったんで無視していたのだ。山口県には他にも「楊貴妃の墓」とか「小野小町の墓」とか「佐々木小次郎の墓」なんかがあるんだが どれもこれもアレだからな・・・

この「静御前の墓」は やっぱ全国いたるところにソレっぽい噂があって 一般的には「平泉の義経の後を追って越後の地で果てた」、とか言われているが いずれにしても静に何らかのゆかりのある場所が信憑性が高いと思われるのだが・・・ま、あくまで「伝説」だから山口県に墓があったとしても仕方があるまい。

しかし やっぱりNHKの影響力は大きくて、「せっかくこういう伝説があるんだから 町おこしに使おうじゃないか」ということで 最近になって観光客にも判りやすいように案内板を立てたり遊歩道を整備したり、近くの道の駅に銅像を立てたりしてPRに努めていたらしいのだ。
まあ こういうのを紹介するのも やっぱり「義経」最終回の今日が旬としては最後だろうからな・・・と、いうわけで 今日は日記のネタのために雪まみれの阿東町まで「静御前の墓」の確認をしてきたぞっ!ヒマだったしな。

静の墓入り口



国道9号線を徳佐八幡宮方面から津和野方面に進んでいくと 「ライスセンター」と言うでっかい米の貯蔵庫があるんだが その先の交差点に最近 設置された「静御前の墓」の看板があるから それにしたがって進めば迷うことも無いと思うぞ。

ちなみに解説はコレ。

解説

「当地にて・・・ひっそりと その悲恋の生涯を閉じたに違いない」って 勝手に断定されてもなあ・・・(-_-;)
なんか長井秀和の漫談でも聞いているような強引さが物悲しいぞ・・・ 

では お待ちかね、噂の「静御前の墓」を皆様にご覧頂くとしよう。 目の玉ひんむいて見やがれぃっ!!




静御前の墓


(゚ーÅ) ショボイ・・・

投稿者 BARA : 09:57 PM | コメント (1) | トラックバック