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June 28, 2006
おもちゃの国やまもと
今日はいろいろと書きたいネタもあるんだが やっぱり個人的にはこの話は避けて通れまいなぁ・・・・
わしも昨日 掲示板の書き込みを見て初めて知ったんだが、我々が仲間内で「聖地」と崇める萩市・田町商店街の「山本玩具店」のおやっさんが 今月の10日、亡くなられた、ということを知って さすがにショックが隠し切れなかったな。
地元のTARO,いしに詳細を調べてもらっているが 今のところまだ詳しいことは判っていない。ただ いしがK薬局で確認を取った、と言うからには間違いなかろう。
田町商店街を支えてきたと言えるだけのキャラクターで ある意味 有名人なんだが、この掲示板で話を聞くまで我々の耳に情報が回ってこなかった、ということにも少々ショックを感じるが・・・それほど田町商店街に対しての注目度、関心度が低くなったということなんだろうな。
今日はあまりに個人的、かつローカルな話題で申し訳ないんだが あえて書かせてもらおう。
今はシャッター商店街と化して あまりの閑散さにアーケードの中を循環バスが走るまでになった田町商店街も かつては萩市の中核的な商業地帯として アーケードの中に映画館もあり、萩市初のデパートで最上階にレストランをもつ八木百貨店がオープンしたり、と 栄華を極めていたわけだ。
今は「何が面白いんだ?」という雰囲気の土曜夜市も 当時は押し競饅頭状態になるほど市民が詰め掛けるイベントだったが、わしが一番最初に「おもちゃのやまもと」に行った記憶があるのは幼稚園の頃の土曜夜市だったかな・・・
母親にちょっと高そうな船のプラモをおねだりしたんだが、小学生に上がる前の子供がそんなものを作れるわけも無く、母親は「どうせ作れないから買わないわよ」と言って わしがちょっと拗ねていると おやっさんはやさしくこう言ったのだ。
「あんたにはこういうのはちょっとまだ早いから 売らんよ」
いくら駄々をこねても 店の人が売らないんでは仕方ないなあ、と さすがに諦めてしまったんだが、当時からおやっさんは子供に対して「客」というだけでなく「保護者」という目でも見ていたような気がするな。
小学生に上がってからは クリスマスや誕生日、夏の花火などのイベントのときに まず通ったのが「おもちゃの国やまもと」だったなあ。正月などはお年玉を貰ったら直行していたような気がするし。
わしらの子供の頃はまだテレビゲームが出始めたばかりで ファミコンやらプレステなんてのも無かったわけだが、「ミーバ」とか「モーラー」とか「エポック社のゲーム盤」とか 「水で溶いて自分で作るスーパーボール(正式名称は忘れた)」とか「ポケットメイト」とか「ブリップ」とか・・・ そういう怪しげなものはみんな山本で購入していたっけ。わしは興味が無かったんで買わなかったが 友人HANTなんかはミクロマンとか超合金とか買っていたんだろうな。
中学生になったころからガンプラをはじめとするプラモデルが仲間内でブームとなって、その頃から特に買うものが無くてもHANTやいし、KYOJU、たーしなどの仲間と一緒に入り浸るようになっていた。他の子供がプラモデルの箱を勝手に開けたりすると怒っていたが、わしらは容赦なく中身を物色して 「このデカールどうのこうの・・・」と いじり倒していたっけなあ。
当時、模型といえば萩市にも「ミヨシノ模型」と「アトム模型」という強力なライバル店があったが 結局生き残ったのは我らが山本玩具店だったな。ただ商品を売るだけではなく わしらが「作ったプラモを河原に持っていってバトルをする」と話したら うれしそうに応援してくれたっけ・・・
高校生になった頃から この山本玩具店に置かれている商品が「ロボコンの超合金」やら 「ロボダッチシリーズ」やら「超銀河伝説バイソン」とか 妙に付加価値の高いものばかりだと気付き始めるんだが、もちろん流行の商品も入るのだが、売れ残った商品は処分されるわけでもなく いつまでも陳列棚に置かれているのも「おもちゃの国やまもと」ならではの光景だったな。あと ウオーゲームなんてのもあったっけ・・・
我々はこの頃から アーミーサークル「HCFM」と 漫画アニメよろずサークル「あるらうね」など、親に言えないような秘密活動を始めていたんで モデルガンとか塗料とか爆破シーンに使う爆竹とか いろいろな物資をココで調達していたな。 なぜか我々の発行した同人誌がレジに置かれていたこともあったっけ。
大学や就職で萩を離れて、たまに盆や正月にたまに帰省した時も 「やまもと詣で」は続いたなあ。 別に立ち寄るつもりがなくても 田町商店街を歩いている所をおやっさんに見つかると 「ちょっと寄っていきんさいね」と店の中に呼び込まれ、小一時間の講釈を聞かされていたのは この頃からか。
ココ最近は子供の遊びも プレステとか遊戯王やムシキングとか インドアなものが増えて様変わりしたんだが、わしらの時代が「昔ながらの遊び」と「今風のゲーム」の ちょうど切り替わる時期だったのかもしれないなあ。
おやっさんも我々と会えばその度に「今でも色んな子供が『おじさん、元気?』と来てくれるけど、あんたらが来てくれた頃が一番印象深い」と言ってくれたしなあ・・・。店の中で「なんたらギャザリング」のカードを熱心に眺めている子供と 店の隅にひっそりと置かれているホコリだらけの起上り小法師を見て さすがに「時代の流れ」というものを感じざるを得なかったし。
(゚ーÅ) ・・・
何年か前に体の調子を悪くなされて 歩くのも辛い、とこぼしていたし、たまに会うとさすがに「老けたなあ」と思うほどになっていたが・・・年齢も年齢だったから仕方ないんだろうが やっぱ残念だな。一つの時代が終わった、という感じを これほど味わったことも最近はなかったなあ。
今の時代、隣近所の付き合いも薄くなって「叱ってくれる大人がいない」と言う話は良く聞くが、わしらにとって「やまもとのおやっさん」は まさに立花藤兵衛のごとく「おやっさん」だったなあ。
いろいろお世話になりました。どうぞゆっくり休んでください。「やっと来たかね」と言われるくらい時が経ったら会いに行きますんで その時はまた講釈をお願いします。
投稿者 BARA : June 28, 2006 11:40 PM
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コメント
どうも、昨日カキコさせてもらった者です。やはり亡くなられたんですか。。10日といえば土日だから丁度萩に行こうかな、と思っていた辺りでした。。結局その時は行かず他の事に時間を費やしたのですが。。とても後悔しています。もう一目お姿拝見したかったです。山本さんのご冥福をお祈りします。
投稿者 a : June 29, 2006 01:41 AM
すごくショックだな。
「やまもと」には4月に我が子と行って、おばさんとは会ったんだが・・・。おじさんもその頃はたまに店に出てると聞いてたんだけどなあ。
体調はあまりよくないとも聞いていたが・・・。
最近は年に1回、立ち寄る程度で、おじさんとは何年もあってなかったんで後悔してるぞ。
物心つく前からお世話になったてたからなあ。
無理なお願いをしていろいろと迷惑をかけたし。
とにかく、今は冥福を祈るばかりだ。
おばさんが骨折してたのもショックだな。
この前はそれなりに元気そうだったんだが・・・。
う~む、いろんなことを考えさせられるな・・・。
落ち着いたら、なんとかあいさつに行きたいものだが・・・。
投稿者 HANT : June 29, 2006 06:05 AM
はじめまして。MIXIからきました。
亡くなられたんですね。。ショックです。
僕は小学校の頃、毎日のようにミニ四駆のパーツを見に行ったりしていました。小2くらいから小6くらいまで。土曜夜一の時とかもやさしくしてくれました。でも中学校くらいになると僕が恥ずかしくなり、おじさんになかなか声掛けられなかったんですよね。。そのままずるずるきて、、、いつかいろいろ話したかったのに。。ホントショック。藤川書店のおじさんも亡くなるし。『ひとつの時代が終わった』という表現にちょっと泣けてきました。
投稿者 jiku : June 30, 2006 02:27 AM
かなしいな。ご冥福をお祈りします。
投稿者 M : July 3, 2006 01:12 AM
昨日 やまもとのおばさんに挨拶してきたが やっぱ淋しいもんだな。
おばさんも骨折して調子が悪そうで しばらくは店も開けないらしいが 今度帰ってきたときは顔を出しておいたほうがいいだろうな。
投稿者 BARA : July 3, 2006 09:42 PM