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February 03, 2006
イソフラボン日記
・・・と、まあ 今週はなかなか鬱な一週間だったわけだが、現実逃避のために明日は代休を使うことにして会社を休むことに成功したぞ。ふふふ・・
明日はTARO先生と出かけることになったんで とりあえず萩の実家に戻ってきたんだが、今日は久しぶりに大陸から寒気団が押し寄せてきて 下関方面は日が暮れてから猛吹雪になっていたな。道路は凍るまでには至ってなかったが、雪にヘッドライトが乱反射して前方の視界がほとんど無かったんで 運転するのも結構怖かったぞ。こんな状態で明日は島根県なんかに遊びに行って大丈夫なのかな?
寒さはぶり返したものの、今日は節分ということもあって 春を感じさせる話題もチラホラ耳に入り始めてきたな。ローカルニュースによると 今日は山口県下でスギ花粉の飛散が確認されたそうだ。来週からは天気予報でスギ花粉情報も流れるらしいが、もうそんな季節なんだなあ・・・
で、アパートで一人暮らしをしているときは全く気にしてなかったんだが、実家に帰ると親に「歳の数だけ大豆を食いなさい」とか言われて 炒った豆などを差し出されたぞ。これをティッシュにくるんで体中を撫でた後、一つずつポリポリと頂くわけだが 最近は豆まき用に「食べやすく処理した大豆」なんかも売られているみたいだな。歳の数の大豆くらい 別に少々硬かったり不味くても食えるだろうに・・・
子供の頃は爺ちゃんの分の豆などを数えながら集めるのも楽しかったわけだが 気がつくと自分も41個もの豆をつまむ身分になったんだなあ・・・このくらいの歳を重ねると大豆を集めるのも余り嬉しくないもんだな・・・
そういえばイソフラボンの摂取過多に注意しろ、とか 昨日ニュースでやっていたっけ・・・あれってもしかして 節分の直前と言うことを計算して流されたニュースだったのかな・・・?
去年も書いたんだが 萩地方では自分の歳の数の豆をティッシュに包んで道路に持ち出し、四つ角の辻の真ん中に置いて立ち去る、という 一種独特の儀式があるわけだ。
この風習の起源についてはいろいろと説があるみたいだが、わしの聞いた話によると 自分に付いている厄と言うか鬼が辻に置いた豆を夢中になって食べている隙を突いて 鬼を外に置いてけぼりにする、ということだったような気がするぞ。 鬼に悟られないように 家に戻るときは一目散に、しかも決して後ろを振り向いてはならないらしい。
子供の頃はこんな風習も けっこうノリノリで楽しんでいたんだがな。 今のご時世ではゴミ問題のほうがクローズアップされているんで こんなたわいのない風習も徐々に廃れていくのが少々悲しいぞ。そういえば子供の頃にあった「灯篭流し」とかも やっぱりゴミ問題のために最近は見なくなったしなあ・・・
今は節分と言えば 豆まきと同じくらい「恵方巻き」がスタンダードになってきたな。これも関西の一部の風習をセブンイレブンをはじめとするコンビニ業界の陰謀で全国規模に広まったものらしいが・・
日本人はポリシーが無いというか 他所の地域の文化でも 他所の国の風習でも なんでもかんでも面白ければ受け入れちゃう民族なんだけど、まあ 年に一回のお祭りみたいなものだし、それで季節感と言うかメリハリがつくのなら別に良いんじゃないかな?
ただ わしが納得できないのは 今年あたりから販売されている「手ごろなミニサイズの恵方巻き用海苔巻」だな。そのうち「食べやすいから」という理由で普通の海苔巻サイズになるのではないかとも思うのだが そうなると全然意味が無いような気もするぞ。
あれは苦しい思いをして海苔巻を一気に頂くことに意味があるのではないかな?それなのに「恵方巻き用の一口サイズ海苔巻」というのは本末転倒というか あまりにも邪道と言うか・・・
とあるジャンルのビデオでも 太巻き状の物体を喉の奥まで突っ込まれて 苦しみもがいている映像を見たことがあるが(?) やっぱ少しは修行というか修練と言うか 「何かを克服しないと幸せは得られない」というような教訓めいたものが この恵方巻きという儀式には隠されていると思うわけだ。
食べやすいミニサイズの恵方巻きで一気食いをトライしようと思っている人は せめて一緒においなりさんも一気食いしてみてはどうかな?特に理由はないけど・・・・
「苦しみの果てに快楽はあるのよ」 BY 杉本彩
投稿者 BARA : February 3, 2006 11:50 PM
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